2011年04月19日

長らくお休みしましたが、4周年です。




今日は4月19日です。
あれから4年。
こんな形で迎えるとは思っていませんでした。

まずは、読んでくださっているみなさま、ありがとう。
4周年を迎えました。
そして、これからもよろしくお願いします。

1ヶ月と12日ぶりのブログです。
たくさんお休みしてしまってすみません。

3月11日。金曜日。
東日本大震災が起きました。

東北や関東でたくさんの方々がお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りします。
そしていまだ行方不明の方々、1日でも1秒でも早く無事が確認されることを祈ることしか出来ません。
また被災されたたくさんの方々、まだ避難所で不便な生活を余儀なくされている方々
心よりお見舞いを申し上げます。

もっと早くこの言葉を述べるべきでしたが、震災1ヶ月を過ぎても状況が良くならない被災者の方々の様子を報道で見るたび
そこで過ごしている方や大事な方を亡くされた方
見つからない大事な人を探している方には、お届けする言葉が見つかりません。



私も被災者のひとりとなりました。
でも、みなさんに心配をしてもらうようなことは有りません。

グラグラと揺れだしたときには、そんなに大きな地震になるとは思わず呑気にお茶を出していました。
さらにゆれだして、職場の給湯室の天井をひとりで眺めていたら
パラパラと白い粉が降って来ました。
これは、ヤバイ。
職場の区切られているドアを開け、みなさんの避難経路を確保するため
そのままドアを支えていましたが、揺れはおさまらず。
課のみなさんの顔を見回しながら、揺れに耐えていました。
ドアからだと一番遠い場所にいたのですが、ビルの6階から見える窓の外を見ると
大きな大きな木がゆさゆさと揺れていました。
いままで経験したことの無い地震に、みんな動揺していました。

震度6。

6階の職場は書棚が倒れ、机の上にあったものもみんな床へ落ち
給湯室は先ほどお茶をいれていた急須や茶碗が床に散乱し、お茶の葉だらけになってしまいました。
もちろん食器類もたくさん落ちて、割れてしまいました。

火事の誤報が流れ、着の身着のまま非常階段で外へ。
広場に到着後も大きな余震に身震いしました。

30分ほど経ったあとでしょうか。
また非常階段で職場へ戻り、後片付けをしながら定時を迎えました。

職場はバックアップ電源が有るので、停電せずテレビなどで情報を得ることが出来ました。
携帯電話はもちろんつながらないので、家族に連絡を取ることもなかなか叶いませんでした。

職場を出る前に中の自販機で水を1リットル買い、トイレを使わせてもらって車へ。

その日は朝から車のガソリンが無く、エンプティランプが付いていました。
家まで普段は30分の道のり。
帰りにガソリンを入れて、呑みに行こうと思っていました。
状況は一変。飲み会はもちろん中止。連絡など取り合うすべも有りませんでしたが、一目散に家へ。
と思いましたが、道路は大渋滞。信号がついていない。道路が陥没している。家の塀が倒れている。
車のディーラーのガラスが割れて、めちゃめちゃ。

この状況ではいつガス欠するか分からない。
エンジンを切ったりかけたり。
暖房が使えないので、着替えの服やストールを体に巻きつけて寒さをしのぎました。

カーラジオを付けたかったのですが、仕方が無いので携帯のワンセグで情報を得ました。

町の中は見渡す限り停電。
ガス欠する前に車をどこかに置かせて貰って、歩いて帰った方が賢明だろうか?などと考えながら
結果、2時間半かけて無事、家へたどり着きました。

姪っ子にミルクを与えるために、家に有った水は一滴も無く、非常用の水も無かったので職場を出る前に水を買っておいて正解でした。
そのあと些細な食事をし、母とコンビニを回って水を探しました。

幸い我が家はプロパンガスなので、食べ物を温めたり、水を沸かすことができたのです。
コンビ二も停電していましたが、時間を区切って店内に客を入れ、有るものを売ってくれました。
水は無かったのですが、カップめんや板氷、メイク落としのシートを買いました。
列に並んでレジ待ちをしていると、ちょうどドリンク類が到着。
このトラックも午後3時くらいに入るはずだったのに、10時になってしまったとのこと。
水も20本積んでいるとのことで、2リットル入りをひとり1本ずつ売ってくれました。

その日はもちろんお風呂に入れず。
父は仕事で街中の道路状況を調べるため、深夜に出かけていきました。

帰宅してから、少しずつメールが出来るようになり
関東・東北一円に住んでいる友人達から安否確認のメールがたくさん届いていました。

大丈夫だよ。
そっちはどう?

最後に宮城に住む友人と連絡がとれて、ホッとしながら就寝。

ここまでが当日私が経験したことです。
えらいことになったなぁ、と思っていましたが
こんな大事になるとは感じていなかったのが、正直な気持ちです。

しかし、世の中の人々がどんな被害に遭っているかを知って
私がどんなに幸運だったかを知ることになります。


翌日、午後になって電気が来て、テレビを見て
状況がどんどん分かってきました。
最悪な事態。
大津波。
かなりの方が亡くなっていること。
毎日毎日ひどい状況が伝えられていました。



あれから、1ヶ月以上が経ち、私の周りはどんどん日常に戻りつつあります。

しかし茨城では地震の被害、津波の被害に遭われた方
風評被害で苦しむ方、放射能物質の飛散におびえる方
たくさんの方々がいまだ震災の被災者です。
いばぐるの再開の見通しが立っていないことも、その一つです。

このギャップをどうしたらいいのか、迷いはあります。

でも。

生きているって、こういうことなんだろうなとも思います。
いっぱい迷って、いろんな方々に心を添わせながら、私なりに生きるしかない。
私の状況で生きるしかないんだなって。

出来ることはしていこうと思います。
たくさんの方の励ましに、背かないよう、溺れないよう。

これから能天気なブログの5年目がスタートします。
私がみなさんを励ますなんて、そんなおこがましいことは思えません。
大丈夫だった私の毎日を、以前と変わらずみなさまにお届けしていきます。

これからもbluenoteと憂をよろしくお願いします。


posted by 憂 at 23:08 | Comment(2) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
長い間更新されてなかったので心配でした。
ご無事で何より!!
何よりです!!
そして4周年を迎えられたこと、本当に良かったですね。
おめでとうございます〜〜〜

言葉では言い尽くさないほどの思いをしましたね。被災地のあまりの悲しい現実に心が震えます。
人生観が変わってしまいました。
自分の無力さに落ち込む日も多々ありました。
余震も続き不安な日も続きます。
でも、私達、有り難い事に命はもちろん、何も失わずにこうして日々の生活が出来てるのですよね。
本当に有り難いことです!!
感謝を胸に、そして3月11日は絶対に忘れることのないよう、またゆっくり歩き始めましょう〜
これからも元気なブログを発信してください!!
どうぞよろしくお願いします。

Posted by k.k at 2011年04月28日 23:01
k.kさん
コメントありがとうございます!

k.kさんもご無事でなによりです。

お互いにいろいろ考えた、考えさせられた地震でした。

私のブログは日常の悲しいこと・ストレスは一切書かずに、楽しいこと・美味しいもの・美しいものを発信するブログですので
これからも元気を頼りに頑張ります。

本当にコメント、ありがとうございました。
Posted by at 2011年05月03日 21:06
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